母が、はるか昔(初任給とかそういうレベル)に買ったライティングデスクを処分すると言い出した。よくよく考えると、わたしが檜皮色の家具が好きなのは、どうもこのあたりに原点がありそうな気がする。
※母親撮影により、構図などに関するクレームは受け付けません。ピントが合っているだけ上出来だ!
小さいころ、じいさんのお下がりでウランちゃんのシール(おそらく母かおばあたりが小さいころに貼ったのだと思う)が一番下の引き出しではがれそうになっている机を使っていたわたしは、宝箱を開けるようにして机があらわれるライティングデスクがうらやましくて仕方なかったのものだった。しかもその上には、中世の女性たちが日傘を差した絵の描かれたランプが乗っていた。そして、ランプの傘は深いモスグリーンをしていて、ピアノのいすみたいに太く編まれた紐が傘のすそを彩っているのだった。さながら母のライティングデスクセットはそれだけが時代を超えてやってきた絵本の中のものみたいな気がしていた。
わたしは小学校の高学年になってから新しい机(横に本棚が着いた立派なやつ)を買ってもらったけれど、いまいちナチュラルベージュの色合いとかに軽々しい(つまり、重厚じゃない)かんじが物足りず、もちろんその下にもぐって安心したりはしていたのだけれど、母親の机は遠い海の向こうの人に書く手紙とか、毎日夜中に薄暗いランプの明かりで書く日記とか、そういうものを連想させてすごくうらやましかった。
ライティングデスクのいいところは、右と左の支えを出して天板を支えるところだ。右と左の支えは、一見意味のないもののように見えて、しっかりと支えるという役割を持っているところがいい。それらを引っ張り出しただけでは意味をなさないところがいい。ちょっと忍者のからくり屋敷みたいな感じがいい。支えがないと、天板はぐたりとななめに垂れ下がってしまう。そこにものを置くことはできない。あくまで、右と左の支えがなくてはいけない。
机の下にある引き出しも実に実用的だ。だって机のそばにしまいたいものは結構たくさんあって、そりゃあ母親くらい生きていればもらった手紙の数だってわたしよりも27年分多いわけだし、大切にしておきたい書類の数々だったあるだろうし、もしかしたら秘密の手紙とか日記とか写真なんかがあるかもしれない。引き出しは三段あって、一番上はそれが左右に分かれているのだけれど、そこにはおそらくそんなに重要なものは入っていなくて(入っているのは母親の好きな花柄のレターセットとかそういうもので)、一番下の大きな引き出しの何かの下に、きっと見てはいけないものが隠してあるに違いない、というのがわたしの予想だった。
実は、わたしは母親にいえないことをいくつか(それは、母親が家にいたらいっしょにケーキを焼きたいとかそういう幼い希望だった)書いたものをライティングデスクの下に隠したことがあったのだけれど、その紙はずっと母親に気づかれることはなくて、それを仕方なく自分の手で取り出して捨てたこともあった。なんとなくむなしかったことを覚えているが、それは確か「ハッピーまりちゃん」で、主人公のまりちゃんが母親と一緒にしたいことを書き連ねて置いた紙を偶然母親が見つけて涙する、というエピソードを真似たもので、ただしわたしはまりちゃんほど不幸でもなく、もちろん母子家庭ということもあって母親と一緒にしたいことは制限されていたものの、別に不満も持っていないのにそんなことをしたのは、単なるヒロイズムだったのかと思うと恥ずかしく、しかもそんな年からマンガの真似をしていたのかと思うと、自分のオタクっぷりが筋金入りであることを実感するのみでさらに恥ずかしい。
まぁそんな思い出があったりもするし、わたしにとってはおとぎばなしの象徴みたいなものだったため、母親がずいぶんと大切にしていたという以上にその存在の喪失はわりにショッキングだったのだけれど、母親に「あんなに大切にしていたのに」と文句を言ったところで「わたしだって悩んだのよ」と言い返されるのみで、まあそれは特別なことでもなくわたしたちのごくわたしたちらしい会話なのだから、母親が新しい机を買うといっていてもわたしの切なさなどは別に通じなくてもいいのかもしれないし、わたしの勝手な思い出だけで使い勝手が悪い机を使わせ続けるのもなんだとは思うのだけれど、結局のところあれをもう見られなくなってしまうのは、けっこうというか、わりと、というか、かなりさみしいのである。
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