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有馬ゆえ

有馬ゆえ(アリマ・ユエ)

東京生まれ東京育ち、おうし座B型、1978年生まれのライター(元家具屋)。しかしそれは世を憚る仮の姿、その実、常時煩悩と闘い続け(て負け続け)るただのオタク。だからといって乙女としての暮らしを諦めるわけにはいかない! とあがく一人暮らしの日々。好きな漫画家は和田慎二。母は天然。

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けんさくちゃん

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一刻館幻影

2008年3月 2日 (日)

一刻館の真実 結

 そこに、声がした。ふりむくと、おじさんがコーヒー色のミニチュアダックスを連れて立っていた。

 おじさんは、工事現場の写真を撮っているのかとわたしに問うた。わたしは以前からよくある工事現場好きの写真部員にでも思われているのだろうかと思い、そうじゃなくてこの建物を愛していたのです、そしてなくなってしまったことが哀しくて撮影に来たのです、と答えた。町内会長だというおじさんはそれを聞くと、にっこり笑って、最近工事現場をきちんと撮っておかねばならないという取り決めだかがあるとかで、わたしをその人かと勘違いしたと言うのだ。ユニクロのおんぼろしましまニット(オレンジと白)と汚いズボンをはいたこのわたしをである。

 いやそうではなく、とわたしはもう一度断ってから、自分が目黒村の古い家で生まれ育ち、だから昭和のはじめに立てられたようなこの建物をいとおしく思っていたこと、それからここの人が出て行ってしまった場面すら見ていたこと、取り壊しを見て心底ショックだったことを矢継ぎ早に話した。

 するとおじさんは、この家は昭和の初期に建てられた家で、おじいさんはお医者さんだったからモダンな建物を建てたのだ、そしてここには3人の住人が入居していたのだけれど、老朽化が激しかったため建て直しをすることになったのだ、そしてここには新しい家が建つ、哀しいかもしれないけれどたのしみにしてほしいのだ、と事情を知る人だけが説得力をもつことのできる言葉を口にした。そして、きっと取り壊されてしまうだろうけれど、同じように古い建物が近くにあるよと教えてくれたのだった。

 でもあなたのことは伝えておくからね、とおじさんはほほえみ、冬の強い光に包まれた笑顔はなんだか哀しみを助長するようで、だけれどわたしはそのきもちがうれしくて、自分のきもちと折り合いをつけるためにおじさんの犬を撮らせてもらった。

 おじさんは以前もわたしの姿を見かけたことがあったのだという。それは、まだ一刻館がいつもの顔をしていたころで、自分は毎朝小学生の登校時にこの近辺を警備しているのだ、と教えてくれた。わたしはそれをきいて、少し早く起きて徒歩で通勤していたころのことを思い出し、歩くのを再開しようとなんとなく思った。

 そして別れ際、おじさんはわたしに「この家のことをを忘れないでほしい」とすこしきっぱりした口調で言ったのだった。



一刻館の真実 途

 まぶしい光に目を細めながら、ただシャッターを切る。






一刻館の真実 序

 先日通りかかったところ、一刻館のあった場所が完全な更地になっていたので、後の姿をおさめておこうとカメラを持った。徒歩30秒もなく着いたその場所には朝日のなかで光るショベルカーだけが無造作に置かれていて、建物が建つ前だけ東京に現れるあのだだっ広い空間が存在していた。








2008年2月26日 (火)

サヨナラ、サヨナラ一刻館 その3

 もうちょっとだけ、エゴイスティックなエントリを続けさせてください。













 昔はよかったと自分の人生をふりかえる大人にはなりたくないけど、自分の生まれ育った場所の空気ぐらいは覚えていたい。

2008年2月25日 (月)

サヨナラ、サヨナラ一刻館 その2

 工事現場のおっちゃんに、「写真の勉強してんの?」と聞かれる。昔からよく言われたせりふだけど、いまだにうまく答えられない。











サヨナラ、サヨナラ一刻館 その1

 やっぱり今日も、カメラを持ってそこに立つ。










2008年2月22日 (金)

サヨナラ一刻館 その3

 時が戻ればいいのに、と陳腐な言葉すら。









2008年2月21日 (木)

サヨナラ一刻館 その2

 こうやって、生まれ育った街が変わっていく。








サヨナラ一刻館 その1

 哀しい出来事が起きた。先日、ふと帰り道に一刻館の前を通ったときのことだ。その全身は白いビニールにおおわれ、暗闇の中には大きな機械の姿があった。

 取り壊しだ。

 なんてこった。わたしはこの家に住みたいとすら思っていたのに。どうしてこんなことが起きてしまうんだろう。

 以前、わたしの恩師が学校を辞めるとき、こんなことを言っていた。「僕は、この学校が大好きだ。この学校が駄目になっていくのを見たくない。だから、ここを辞めるんだよ」。

 そして次の朝、わたしはカメラを持ってそこに立った。きっとこうしてこの文章を書いているあいだにも、あの屋敷はどんどん形をなくていくのだ。なんてことだ。わたしの輝かしい世界の一部が、また消えてしまうのだ。












2008年1月 8日 (火)

朝帰りの一刻館

 今日は眠っておりません。というわけで、すがすがしい空気の中、おうちまで着替えたり化粧をしなおしたりシャワーをあびたり「ぷよぷよ」をしたりしに帰ったわけだ。つまり、朝型の冷えた空気にたたずむ一刻館の姿を目に刻み付けたわけだ。















 なんだよ。いやされるな。なんとなく今日も頑張れる気がしてきたんだよ。

2007年8月12日 (日)

一刻館のひと夏4

 夏の影とともにフェードアウト。










 写真下手になったなぁ。

一刻館のひと夏3

 夏は物事を切なくさせる。









一刻館のひと夏2

 ディテールに住まう家の跡。











一刻館のひと夏1

 胸をつかまれるような感覚。











2007年5月23日 (水)

一刻館の夢のあと

 ある日の帰宅中、うちの近くの一刻館に変化が起きていることに気づいた。狭い庭の入り口に、粗大ごみのシールが貼られた古い家具がどかんどかんとおいてあるのだ。夜中だったので、周囲には人影もない。部屋ひとつぶんくらいの家具が、粗大ごみに出されようとしているのだ。

 わたしは一刻館の住人を一度しか見たことがない。おそらく風呂なしトイレ共同のアパート形式(それこそ一刻館のような)であることが想像され、住んでいるのは一人住まいのすえたにおいがしそうな汚いおじさんとか、なんとなく口やかましい近所で嫌われ者のちっちゃいおばさんだとか思っていたのだけれど、それは高級ではないけれど清潔な、といったわかりやすく好感の持てる親子三人だった。

 それは五月の晴れた日だった。ちょうど日差しが強くなって、ニュースで「汗ばむ陽気です」といいはじめたころだった。帰ってきたばかり、といった様子の三人は、一刻館の外壁沿いに植えられた木の日陰にいて、顔を見合わせて話していた。深刻そうでもなく、たのしそうでもなく、かといって寂しそうでもなく、変に無表情だった。

 お母さんは、背は高くなかったがやせっぽちでひょろりとして、子どもたちはそれぞれ五年生と三年生くらいの、お兄ちゃんと妹だった。お兄ちゃんはちょっとぽっちゃりで、半ズボンとTシャツ、黒いランドセル。妹はちびまる子ちゃんみたいな朱色がかった赤のジャンパープリーツスカートに白いシャツ、赤いランドセルがまだまだアンバランスな体つきをしていた。

 化粧っけのないお母さんの顔は少しだけ疲れて見えて、でも三人は仲良く手をつないで一刻館のはげた小豆色の扉の向こうに入っていった。そこには不思議な暗い影が付きまとっていて、わたしは夏休みの終わりにつきまとうような、焦燥感にも似た胸騒ぎを感じて、その暑さのせいで見た幻のような光景に、今目の前から消えてしまったその光景に、不思議な感覚を覚えていたのだった。それは一刻館の色あせた色合いとぴったり合っていて、それが余計に夢の中にいるようなふわふわした気持ちにさせた。

 わたしは熱に浮かされたみたいに、誰もいない夜の闇の中、庭に放り出された家具——古いエレクトーン、壊れかけたチェスト、昭和らしい無駄に大きな観音開きのクローゼット、汚いこたつ、木のがっしりした学習机——にひとつひとつ手を触れてまわった。それからなんとなく、この一刻館自体がいつかふっとなくなってしまいそうで、そんなことはないとわかっていてもでもやっぱり不安で、宵に包まれてちょっとだけ怖い、この古びた建物を見上げたのだった。

 次の朝、粗大ごみはすべてなくなっており、一刻館はまるで何事もなかったの用にたたずんでいた。