前々から日仏学院の建築デザインが好きで、自分が通い続けられたのもそのおかげが大きいと思っているわけだが、先日たまたま神楽坂に芝居を観にいった帰りに散策してみて、これはいったいだれが設計をしたのだろうかと興味がわいたのだ。なぜなら、新しいくせに近代のにおいがするからである。そこで調べてみたところ、日仏学院のページに「東京日仏学院の設計を担ったのは、ル・コルビュジェ門下の建築家、坂倉準三氏でした」との記述があった。なるほど、道理で近代のにおいがするはずだ。
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東京日仏学院(東京日仏学院の歴史) そんでもって、作風から坂倉準三なる人物がコルビュジェに師事していたのは1930年代のことに違いない、と思ってwikiってみるとビンゴ!
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坂倉準三(wikipedia)------------------------------------
1904年 岐阜県羽島(現・羽島市)で醸造元の家に生まれる
1927年 東京帝国大学卒業(専攻は美学、美術史)
1929年 フランスに渡り、パリ工業大学で学ぶ(徴兵逃れであったという)
1931年 ル・コルビュジエの建築設計事務所に入る
1936年 帰国。パリ万博の日本館建設のため、再びフランスへ
1940年 坂倉準三建築研究所(現・坂倉建築研究所)設立
1969年 死去
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ここまで来ると、京都にある関西日仏会館(こちらも建築がかなり萌える)の歴史も知りたくなってくる。こちらは、東京日仏会館のようなモダンさというよりも、古きよき近代建築といった風貌。すると、現在の建物のもとを設計したのは木子七郎。明治17年生まれの建築家であった。やはり! 行くとわかるのだが、当時の流行り言葉でいう「文化」のかほりがそこここにあるのですよ!
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木子七郎(wikipedia) で、ついでにもとの設計をしたというレイモン・メストラレについても調べてみると、このひとは20世紀を代表する仏人建築家オーギュスト・ペレの弟子なんだそうな。wikiの「オーギュスト・ペレ」の項には、「とりわけル・コルビュジェ、ワルター・グロピウス等の建築家におおきな影響を与えた」と記してある。ううむ。いいなぁ。コンクリートの父と呼ばれ、コンクリート打ちっぱなしのスタイルの流行を生んだとか。
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オーギュスト・ペレ(wikipedia) あー、たのしかった。なんやら長くなってしまったので、東京日仏会館の風景はまた明日アップいたします。
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